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宇和島市

松田(山下)治廣(1938~ )

 体操選手。オリンピック金メダリスト。宇和島市出身。宇和島東高等学校では、体操教師、野本迪甫(のもとみちお)に指導を受ける。卒業後は、日本体育大学の助手であった河野昭の勧めにより、同校へ進学し、体操選手として頭角を現わす。大学卒業後、全日本チームに入り、伸身跳びしかなかった跳馬に、前転跳びに屈伸を組み込んだ「山下跳び」を自力で完成させる。第18回オリンピック・東京大会では、さらにひねりを加えた「新山下跳び」を披露して、金メダルを獲得した。「山下跳び」は、今では世界の体操競技書に基本技として紹介されている。一線を引いた後は、日本体育大学教授を務め、後進の指導に励み、オリンピックメダリストの監物永三や塚原光男ら多くの優秀な選手を育成し、選手として、指導者として日本体操界黄金期の一翼を担った。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)