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宇和島市

松山恵子(1938~2006)

 演歌歌手。宇和島市出身。本名は、岡崎恒好(つねこ)。中学2年生で出場した日本コロムビア全国歌謡コンクールで10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。昭和29(1954)年、日本マーキュリーレコード全国歌謡コンクールで優勝。翌年、「マドロス娘」でデビュー。昭和31(1956)年、「十九の浮草」が大ヒットし、一躍スターとなった。その他、「未練の波止場」「だから云ったじゃないの」「お別れ公衆電話」など数多くのヒット曲があり、NHK紅白歌合戦に昭和32(1957)年から7回連続出場した。
 昭和44(1969)年、交通事故に遭い、瀕死の重傷を負う。この時の輸血が原因で肝炎を患い、亡くなるまで闘病を密かに続けていた。一時は生命も危ぶまれたが不屈の闘志で復活。最後まで国民的歌手としての人気を維持した。平成元(1989)年には、通算8回目となる紅白歌合戦に出場。平成7(1995)年、第37回日本レコード大賞功労賞を受賞した。
 平成18(2006)年2月、1996年頃から肝臓癌で闘病中であることを告白し、その直後の3月下旬に入院。5月7日に亡くなった。享年69歳。6月に新曲「人生ありがとう」を発表する予定だった。JR宇和島駅構内に、ヒット曲「お別れ公衆電話」を記念した電話ボックスが設置されている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①宇和島駅構内のお恵ちゃん電話ボックスⅠ

①宇和島駅構内のお恵ちゃん電話ボックスⅠ

宇和島市錦町10

②宇和島駅構内のお恵ちゃん電話ボックスⅡ

②宇和島駅構内のお恵ちゃん電話ボックスⅡ

宇和島市錦町10

③宇和島駅構内のお恵ちゃん電話ボックスⅢ

③宇和島駅構内のお恵ちゃん電話ボックスⅢ

宇和島市錦町10