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宇和島市

井関邦三郎(1899~1970)

 総合農機メーカーの創設者。北宇和郡三間村(現、宇和島市三間町)出身。郷里で井関農具製作所を立ち上げて大野式除草機の製造・販売を始めていたが、熊本の共進会で見た岩田式籾はぎ機と、高知の山本式自動選別機とを組み合わせた高性能の全自動籾すり機の開発に成功した。大正15(1926)年、開発した全自動籾すり機の製造のため、松山に工場を移して井関農具商会と改称し、井関農機の基礎を作った。
 昭和20(1945)年の松山大空襲によって本社と工場は灰燼と化したが、戦後の農業機械化ブームに乗って、耕耘機(こううんき)・コンバイン・トラクター・田植機を次々に開発して、井関農機を、わが国を代表する総合農機メーカーに育て上げた。また、愛媛県工業クラブ会長・松山市商工会議所会頭・愛媛県経営者協会会長・済美学園理事長などを歴任し、地域の発展に貢献した。その他、萬翠荘の菊花展・バラ展や囲碁の普及でも有名である。(『愛媛県人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 井関邦三郎墓所:「井関家墓地」内(三間IC近く、窓峠付近の高台)

①宇和島市三間支所前の胸像

①宇和島市三間支所前の胸像

宇和島市三間町宮野下

②三間町務田公民館横の石碑

②三間町務田公民館横の石碑

宇和島市三間町務田730-1

③生家跡に建つ誕生地の碑

③生家跡に建つ誕生地の碑

宇和島市三間町(道の駅みま付近)