データベース『えひめの記憶』
宇和島市
村田蔵六(1825~1869)
蘭学者。軍略家。周防国吉敷郡鋳銭司村(すおうのくによしきぐんすぜんじむら、現、山口県)出身。後の大村益次郎。梅田幽斎や広瀬淡窓、緒方洪庵などに師事して蘭学を学ぶ。嘉永6(1853)年、宇和島藩主・伊達宗城に招かれ蘭学の普及、軍艦や砲台の建造に従事した。後、長州藩士となり藩内の蘭学教育を行い、文久元(1861)年から3年の江戸詰のおりには井上聞多(馨)、伊藤俊輔(博文)のイギリス留学に尽力した。帰藩後は軍政の中枢に身を置き、武器の近代化や軍事組織再編の指導者として活動した。
維新後は明治政府において群防事務局判事、軍務官判事、軍務官副知事などを歴任、明治2(1869)年7月に兵部省が設置されると同時に兵部大輔に就任して新政府の軍制事務で活躍した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
①樺崎砲台跡Ⅰ 宇和島市住吉町(奥は宇和島市立歴史資料館) |
②樺崎砲台跡Ⅱ 宇和島市住吉町 |
③大村益次郎居住地跡Ⅰ 宇和島市神田川原 |
④大村益次郎居住地跡Ⅱ 宇和島市神田川原 |
⑤適塾 大阪府大阪市中央区北浜3丁目3-8 |
⑥適塾にある緒方洪庵像 大阪府大阪市中央区北浜3丁目3-8 |
⑦大村益次郎遭難の碑 京都府京都市中京区二条木屋町下ル一之船入町 |