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宇和島市

穂積陳重(1855~1926)

 民法学者。宇和島城下(現、宇和島市)出身。幼名邑次郎(むらじろう)。大学南校(だいがくなんこう:後に開成学校と改称。現、東京大学)で法律学を専攻し、海外留学生としてイギリスとドイツで合わせて5年間法律を学んだ後、東京大学法学部(後、帝国大学や東京帝国大学と改称)の講師、教授として生徒を指導し、東京大学法学部の基礎を確立してわが国最初の法学博士となった。また、貴族院議員に勅撰され、法典調査会主査として民法・戸籍法などを編纂し、「明治民法生みの親」といわれた。
 陳重は、大正10(1921)年8月に誕生した宇和島市の発足にも尽力したが、その功績を称え当時の市長から銅像建立の申し出があった。しかし陳重は「仰ぎ見られるより、市民の渡る橋になりたい」と答えて断ったというエピソードがある。憲法学者・穂積八束は弟、民法学者・穂積重遠は長男である。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①辰野川を渡る穂積橋

①辰野川を渡る穂積橋

宇和島市新町2丁目(ほづみ亭付近)

②陳重の意思を刻む石碑

②陳重の意思を刻む石碑

宇和島市新町2丁目(ほづみ亭付近)

③欄干横にある橋名の由来碑Ⅰ

③欄干横にある橋名の由来碑Ⅰ

宇和島市新町2丁目(ほづみ亭付近)

④欄干横にある橋名の由来碑Ⅱ

④欄干横にある橋名の由来碑Ⅱ

宇和島市新町2丁目(ほづみ亭付近)

⑤生家跡

⑤生家跡

宇和島市京町2

⑥生家長屋門

⑥生家長屋門

宇和島市丸之内1丁目(宇和島城藤兵衛丸跡)