データベース『えひめの記憶』
宇和島市
高野長英(1804~1850)
蘭学者。陸奥国胆沢郡水沢(現、岩手県)出身。養父の反対を押し切って江戸に出て、苦学しながら蘭医・杉田伯元(すぎたはくげん)に学び、次いで吉田長淑(よしだちょうしゅく)に学んだ。
長淑の死後の文政8(1825)年、長崎に赴きシーボルトの鳴滝塾に入塾、その翌年「ドクトル」の称号を授けられた。しかし、シーボルト事件が起こったため長崎を去り、後に江戸にもどって開業医をしながら生理学を研究し、天保3(1832)年、わが国初の生理学書『医原枢要(いげんすうよう)』を表した。渡邊崋山と知り合ったのはこのころである。
これ以降崋山の蘭学研究を助けながら、多くの翻訳や著述活動も行うが、『戊戌(ぼじゅつ)夢物語』で幕政を批判し、投獄(蛮社の獄)される。後に脱獄し、宇和島藩主・伊達宗城の招きにより、宇和島で蘭学教授のかたわら、兵書の翻訳や御荘砲台の設計などをする。また、この時、幕府の追及から逃れるため、々シーボルト門下の二宮敬作を宇和郡卯之町(現、西予市宇和町)に訪ね、一時潜伏している。(『愛媛県人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
高野長英墓所:大安寺(岩手県水沢市)
①宇和島での居住地と碑(後藤新平 書) 宇和島市新町2-3-5 |
②居住地跡の説明板 宇和島市新町2-3-5 |
③高野長英手水鉢 宇和島市新町2丁目3-8 |
④西予市宇和町卯之町の隠家Ⅰ 西予市宇和町卯之町3-238 |
⑤西予市宇和町卯之町の隠家Ⅱ 西予市宇和町卯之町3-238 |