データベース『えひめの記憶』
西予市
菅吉三郎(1824~1889)
杉樹蔚蒼として 士風敦厚なり
大碑朽ちず 君が功を表彰す
明治26年4月5日 俵津村長 藤岡 清
これは大山神社の境内に建てられている吉三郎の頌徳碑の碑文の結語である。
幼名は千代松。文政7年生まれ、吉三郎を襲名したのは、明治元年、44歳の時である。当時幕政の末期で社会情勢は秩序が乱れ混乱時代であった。これがため青少年の気風も荒んで悪風が流れ憂慮されていた。吉三郎は青少年の健全な気風を養うため、自費で夜学校を開校して青少年教育に当たる。さらに小学校の設置に尽力して格致校を地蔵院に開校させる。また村人に治水と殖産に植林を奨励する一方、農業の発展にも努力する。このため農事改良のため北九州から篤農家を招き、村人に犁の講習などを実施する。
明治17年文部省より教育功労者として表彰を受け、硯箱、大字典の記念品が贈られる。
翁の書き残した一文に「河内とは澄める水の豊かな所の意として、その根源の一つは植林にあり・・・」と自らも晩年になっても植林を続けていた。明治22年、64歳で他界する。(『明浜町誌』より)