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西予市

長崎東海(1863~1928)

 土佐の松葉川村(現窪川町①)出身。「わしが目を閉じたら、骨は野福峠辺りの見晴らしのよい所に置いてくれ。」と語り、俵津の人となって村を愛した人で、故にお大師様の基地に墓がある。
 文久3年1月29日生まれ、俵津に東和病院を開業したのは、東海40歳のときである。
 外科医術に優れ、村内はもとより郡内外からも患者が多く、多忙の中にも研究を怠らず年一回は上京して母校に新医術を研修して治療に当たっていた。「巧言して患者を迎えず、去る者は追わず、来る者は拒まず、貧病人は銭取らず」であった。また学童にトラホーム患者の多いのを憂い、無料で治療に当たっていた。
 大正14年7月12日にNHKのラジオ放送が開始されたが、その年の10月、東海は東京から舶来の「ホーン型ラジオ」を携えて帰村、「文明の利器じゃ、東京の話がここに聞けるじゃ!」と言って、みんなを驚かした。これが大変な評判で連日満員のお客さんであったという。
 政治にも関心が深く、村会議員、郡会議員にも就いていた。俵津脇の沼地1.5㌶を埋めた現在もその姓をとり長崎新田と呼んでいる。将来公共施設をつくる考えであったが志半ばにして、昭和3年2月25日、66歳で生涯を閉じる。現明浜東中学校の校門の石柱②は、元俵津小学校建築に際し東海が寄贈したものである。(『明浜町誌』より)


【備考】
① 2006年に大正町・十和村と合併し、高知県高岡郡四万十町となっている。
② 2017年現在は明浜中学校と明浜小学校が併設され、敷地の南西部に設置されている。
③ 長崎東海が開業した病院名は上述のとおり「東和病院」だが、石柱には「医院」と刻まれている。また、「記念」の下にもう一字刻まれているが、解読できない。

長崎東海が寄贈した石柱

長崎東海が寄贈した石柱

西予市立明浜小・中学校敷地内

長崎東海が寄贈した石柱

長崎東海が寄贈した石柱

「明治四十五年四月 院長 長崎東海」と刻まれている。

長崎東海が寄贈した石柱

長崎東海が寄贈した石柱

「東和医院創立十周年記念」と刻まれている③。

長崎東海が寄贈した石柱と顕彰碑

長崎東海が寄贈した石柱と顕彰碑

この顕彰碑は、平成29年9月下旬に除幕式が行われた。(愛媛新聞2017年10月6日の記事より)