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八幡浜市

西井久八(1856~1931)

 米国移住の草分にして功労者。「日本移民のパパさん」と呼ばれたという。安政3年8月2日宇和郡八幡浜向灘浦(現八幡浜市向灘)に父文平、母コヨノの次男として生まれる。進取の気性に富み、若くして外国船水夫として各国を周航、明治12年(異説あり)米国ポートランドに上陸、勤倹力行して事業家として成功。その事業歴は、タコマ(洋食店3、ホテル1、洗濯業1)、シアトル(洋食店3)、ベーリングハム(洋食店2)、ファイフ(農園1)、アラスカ(洋食店1、金鉱山1)と多方面にわたり、盛時の財力は40余万ドルに達した。同41年事業に失敗して第一線を退いたが、洋食店等彼を草分とするこの地方の在留邦人の事業活動は、彼の援助指導もあり目覚ましい発展を遂げた。彼は多数の同胞を呼寄せ、在留邦人の援護等社会・篤志事業にも尽力、シアトル領事館開設、キリスト教会開設等に努力。また、郷里の教育機関等にも多額の寄付をした。同13年八幡浜市に帰国、昭和6年12月1日、75歳で死去した。彼の顕彰のため、在米同郷有志・日米同志会等による寿像が143名の賛同を得て、昭和2年8月(昭和33年再建)に八幡浜市四国山に建立された。(『愛媛県史 人物』より)

①西井久八翁寿像

①西井久八翁寿像

八幡浜市古町2丁目

②お四国山愛染堂登山口の石柱

②お四国山愛染堂登山口の石柱

八幡浜市古町1丁目