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八幡浜市

酒井宗太郎(1889~1935)

 酒六の創業者。南予綿業の父といわれる。西宇和郡神山村矢野町(現八幡浜市古町)に六十郎の長男として生まれた。若くして花眠、後に宗夢と号した。八幡浜商業学校在学中より読書を好み、文章を愛したためジャーナリストになりたいとの希望もあったが、結局家業の織物業を継ぐ。そのころは業界不況で倒産が続出したが、大正3年いち早く動力織機を導入するなど、経営の近代化に努めた。そのため第一次世界大戦後の景気上昇の波に乗り、しだいに綿業界に頭角を現わした。
 その後も、内には家業の進展に専念するとともに、外には綿業界の振興発展に努力し、大正6年共同染工所取締役、同10年西宇和郡織物同業組合長に、ついで、昭和6年には八幡浜織物同業組合長に就任した。また翌7年、家業を会社組織に改め、丸善綿布(現在の酒六株式会社)を設立し初代社長。地域織物業のリーダーとして産地の振興に努めた結果、全国に八幡浜織物の声価は高まり、同13年には広幅織物生産高6,210万平方ヤードに達する大産地へと発展した。
 さらに地方自治にも活躍し、昭和3年神山町長に就任。ついで多年氏が念願した町村合併の機が熟し、同10年八幡浜町が近隣町村を今併して市制を敷いたとき初代市長となる。また文章にすぐれ、仏教に深く帰依して日常不断の読経に人徳を磨き、宗夢居士と号した。このように物事に徹してやまない信念をもって、地域の経済・文化の発展に貢献した。昭和10年11月25日没(46歳)。墓は市内四国山の中腹にあり、古町の秋山が丘には、モーニングに袈裟をかけた銅像が建っている。(『愛媛県史 人物』より)


①酒井宗太郎像Ⅰ

①酒井宗太郎像Ⅰ

八幡浜市古町2丁目

②酒井宗太郎像Ⅱ

②酒井宗太郎像Ⅱ

八幡浜市古町2丁目

③お四国山愛染堂登山口の石柱

③お四国山愛染堂登山口の石柱

八幡浜市古町1丁目