データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

八幡浜市

山中静隆(1916~1982)

 1916(大正5)年12月12日、父山下亀藏、母マンヱの三男として日土の福岡に生まれた。後、同所の山中家の養子となる。
 日土尋常高等小学校の高等科を経て、宇和農業学校を昭和9年3月に卒業し、農業に従事した。太平洋戦争に従軍した期間を除き、短い期間ではあったが、専ら家業にいそしんだ。農業とはいえ、狭隘な土地柄のため、柑橘(夏柑)・稲作・養蚕・養蜂と多様な労働に取り組んだ。持ち前の意志の強さと、農業学校で得た知識を生かして、農業経営の向上改善に努めた。
 先進的な農業技術の試みと手腕をかわれ、1944(昭和19)年には、県農会技手となって農協に勤務した。翌20年には、29歳の若さで日土村助役に抜擢された。これを機に終生、地域の発展に尽くすことになった。
 地域から推されて1945(昭和20)年から、四期市会議員を勤めた。各種農業団体の役員を歴任し、19年間、日土青果農協組合長として、地域農業の再編と開発に取り組んだ。特に果樹不適当地に畜産産業を導入して、急傾斜地帯の農業基盤整備事業を推進した。また、日土地区住民の生活道路であり、基幹農道である瀬田林道を、自衛隊の力を借りて完成させた。彼の農業経営は、単に生産を高めて収入を増やすだけではなく、生活福祉の面から、共済事業にも目を向けていたことである。全国に先がけて労働災害保障事業を取り入れている。
 地域農業の発展で、1980(昭和55)年、地域は朝日農業賞を受賞した。
 1982(昭和57)年7月22日、65歳で没した。新堂に銅像がある。(『八幡浜市誌 (市制五十周年記念版)』より)

【追記】
 彼の銅像の側には、新堂農道及びヌタ農道完成を記念し、「農道碑」が建てられている。

①山中静隆翁之像

①山中静隆翁之像

八幡浜市日土町(県道28号沿い)

②新堂・ヌタ農道 農道碑

②新堂・ヌタ農道 農道碑

八幡浜市日土町(県道28号沿い)

山中静隆関係地図

山中静隆関係地図

国土地理院電子国土基本図から作成