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大洲市

梶原利太郎(1886〜1966)

 明治19年~昭和41年(1886~1966)明治19年1月3日大洲市南久米に生まる。家業の農業を営む傍ら若くして牛馬商の免許を取り、牛馬取引の公正化を図ると共に牛馬飼養の奨励指導に努力したため地域農家に重宝がられ、その精励ぶりや高邁な人格は牛馬商仲間からも畏敬されるところとなる。大正5年には遂に喜多郡家畜商組合長に推され、以来45年の永きに亘り組合長を勤めた。この間には、畜産組合と提携し優良種牛馬の購入、改良、保留あるいは産牛馬奨励、酪農の導入などを図ると共に共進会への協力、家畜市場の整備、後継家畜商の指導育成などに努力し地域の畜産振興に寄与するところが大であった。また昭和4年には建設業を興こし、16年には県建設業協会喜多支部長となり、後には大洲市建設業協会理事長や県建設業協会理事に就任するなど、この業界での活躍も関係者の注目の的となった。このほか昭和18年には地元南久米村長を3年、同21年から大洲市会議員を永年務める間に議長職等にも就任する等家業に尽酔する傍ら、数多くの公職に就き政業界のため常に大局的見地に立って苦難をいとわず地道な努力を傾げ、なくてはならない存在での功績は誠に偉大である。かくて畜産功労者など知事表彰8回をはじめ日本家畜商組合長、全国市会議長会長など多くの表彰を受けてきた。そこで郷党こぞって氏の遺徳を偲び大洲城地の肱川を臨む岩上に高々と顕彰碑が建立されている。昭和41年5月1日80年有余の生涯をまっとうした。(『愛媛県史 人物』より)

①梶原利太郎翁顕彰碑

①梶原利太郎翁顕彰碑

大洲市大洲903(大洲城天守閣北広場)