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大洲市

政尾藤吉(1870~1921)

 法律家。外交官。喜多郡大洲町(現、大洲市)出身。喜多学校(現、県立大洲高等学校)で英語に興味を持ち、上京して東京専門学校(現、早稲田大学)に入り、英語を学んだ。卒業後、広島の学校で英語教師となるが、明治24(1891)年、私費留学生としてアメリカに渡り、西バージニア州の弁護士の資格を得た後、エール大学に入学、明治29(1896)年、日本人初の連邦政府弁護士の資格を取得してエール大学首席に選ばれ、翌年法学博士号が授与された。
 帰国後、横浜の英字新聞・ジャパンタイムズに迎えられ、主筆として活躍した。やがて彼の記事が小村寿太郎の目にとまり、明治30(1897)年、外務省からシャム国(今のタイ)政府法律顧問に委嘱されて同国に渡り、刑法や民商法などの起草を手がけた。シャムの滞在は15年に及び、国王から全幅の信頼を置かれ、王族待遇を与えられた。
 大正2(1913)年に帰国した後は、衆議院議員となって国政に励み、大正9(1920)年、特命全権公使として再びシャムに着任するが、翌年、脳溢血のためバンコクで没した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 政尾藤吉墓所:青山霊園(東京都港区)