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大洲市

矢野玄道(1823~1887)

 国学者。喜多郡阿蔵村(現、大洲市)出身。18歳で松山の日下伯巖に入門。後に京に上って順正書院(じゅんしょうしょいん)に入り伴信友(ばんのぶとも)、頼支峰(らいしほう)らと交わる。弘化4(1847)年、江戸の平田塾に入門、平田篤胤(ひらたあつたね)没後に門人となり、また昌平黌(しょうへいこう)にも入塾した。嘉永4(1851)年、再び上京し本覚寺や鳩居堂(きゅうきょどう)などで国学を講じ、以降慶応年間まで惟神(かんながら)の道(神道)による祭政一致体制を目指して建言活動を朝廷や薩摩・長州両藩に行った。
 また、古典の研究を深め『皇典翼(こうてんよく)』、『神典翼(しんてんよく)』をはじめとして国学関係の多くの著述を進める一方、京都を中心に王政復古運動に専念した。著作は700巻、門人は1,000人以上に及ぶ。明治維新では、国学者として唯一の国家構想をまとめた意見書『献芹詹語(けんきんせんご)』を、岩倉具視を通じて明治政府へ提出し、政治の改革にも功績を残した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
矢野玄道墓所:大洲市阿蔵の旧宅跡付近

①旧居跡の入口

①旧居跡の入口

大洲市阿蔵甲230

②旧居跡と頌徳碑(旧居跡の入口より坂を少し登る)

②旧居跡と頌徳碑(旧居跡の入口より坂を少し登る)

大洲市阿蔵甲230

③矢野翁碑

③矢野翁碑

大洲市阿蔵甲230

④旧居堂(現在は文具店)

④旧居堂(現在は文具店)

京都府京都市中京区下本能寺前

⑤順正学院(現在は、料亭南禅寺順正)

⑤順正学院(現在は、料亭南禅寺順正)

京都府京都市左京区南禅寺前