データベース『えひめの記憶』
内子町
高野島太郎(1863~1943)
地方自治功労者。文久3年10月7日喜多郡五十崎町大字古田の高野平八郎の長男に生まれる。家業は晒蝋業であった。幼にして俊敏、学を好み、17歳で五十崎小学校の訓導に採用された記録がある。明治31年に五十崎村の三代目の村長に就任、以後32年間にわたり、村政発展に尽力した。その間一期県会議員に当選している。
彼の尽力したのは児童に愛林思想を涵養し、藤本松太郎・山本松衛・山本卯太郎らの協力を得て、神南山の村有林300haに松杉扁柏などを植林し、労力は古田地区の人々の奉仕によったことである。また避病舎の改築・矢ヶ谷線の道路・消防組の設置・坊屋敷坂石線の道路計画・小学校の改築・下水道の設置・役場の移転・耕地整理など多方面に貢献した。
昭和18年12月18日80歳で死去、地方自治功労者として勲六等瑞宝章を授与された。昭和28年10月1日町民により、翁の胸像が役場の一隅に建立され、後に今の五十崎町中央公民館の庭に移された。
【追記】
翁の胸像は、現在内子町役場(喜多郡内子町平岡甲168番地)前にある。