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内子町

安達玄杏(1838~1891)

 医師。天保9年12月25日喜多郡重松村(現内子町)で庄屋安達文哉の第二子に生まれた。嘉永4年14歳のとき新谷藩儒者児玉暉山の門に入り、安政元年大洲藩医鎌田玄台について医学を修めた。更に安政6年長州藩の松岡良哉、ついで文久元年長崎の蘭医について修学、帰郷して内子村で開業した。明治5年従来の蘭医では時勢に遅れることを悟り、大阪の府立病院で新しい医学を研究して帰郷、医業を再開したところ病客門に満ち、数多くの患者を救済した。 12年私立病院精得館を開き、一層医療に励んだ。大阪留学を早期に打ち切らねばならなかったことを悔やみ、郷里の青少年遊学のため私費を投じて東京に「安達社」を設け、勉学・宿泊などの便宜を与えた。そのため内子町からは年々遊学する者が続出して数多くの人材を輩出した。また内子町には明治23年ころから尚武会と称する青少年育成の組織が県下にさきがけて作られ、連綿として50余年続けられたが、そのきっかけをつくり奨学育英の実をあげたのも玄杏の遺業である。明治24年3月19日52歳で没し、門下生たちが頌徳碑を建てた。(『愛媛県史 人物』より)


①安達玄杏君之碑

①安達玄杏君之碑

喜多郡内子町内子2020(内子町ビジターセンター前)