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内子町

高橋龍太郎(1875~1967)

 国産ビールの貢献者。喜多郡内子村(現、内子町)出身。愛媛県尋常中学校(現、県立松山東高等学校)を経て京都の第三高等学校(現、京都大学)を卒業し、大阪麦酒株式会社(現、アサヒグループホールディング株式会社)に就職した。そして、ビールの本場ドイツに留学して6年間ビールづくりを学び、帰国後、大阪麦酒の吹田工場に勤めて技術改良に取り組んだ。
 昭和12(1937)年、大阪麦酒の社長となった。当時の日本は大変な不景気で経営は困難を極めたが、ビールの完全国産化に成功してビール産業隆盛の基礎を築きビール王と呼ばれるまでになった。
 龍太郎は、日本の経済界を支える一方で政界にも進出、昭和22(1947)年、日本商工会議所会頭となり、翌年には参議院議員に当選し、昭和26(1951)年、通産大臣に就任して戦後の日本経済の立て直しに尽力した。また、私財を投じてプロ野球球団「高橋ユニオンズ」を設立し、日本サッカー協会会長を務めるなど、スポーツ界の発展にも大きく貢献した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人達~』より)

①生家

①生家

喜多郡内子町内子2403(文化交流ヴィラ高橋邸)

②生家横にあるレリーフ

②生家横にあるレリーフ

喜多郡内子町内子2403(文化交流ヴィラ高橋邸)

③アサヒビール吹田工場前にある胸像

③アサヒビール吹田工場前にある胸像

大阪府吹田市西の庄町