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伊予市

おきよ

 岡の岡崎家の先祖五郎兵衛の妻おきよは、温厚で忠実でそのうえ大変思いやりの心の深い人であった。
 徳川9代将軍家重の時代(1745~1760年)に、大洲藩主の加藤泰衡は前藩主泰温の遺子泰武(泰衡の次の藩主)の乳母を探していたが、おきよのことを聞きつけ、さっそく保育の任に当たらせることにした。
 一家だけではなく、村全体の喜びの声に送られて大洲へ出たおきよは、真心込めて泰武のために奉公し、その大任を果たした。
 泰武が6歳になったときにおいとまを願い出て、郷里の岡に帰ることになったが、その際藩主はその功績を褒めたたえ、「そなたに願い事があるならなんなりと叶えてとらそう。遠慮なく申せ」と言葉をかけたという。いろいろ考えたおきよは、「私の村はほとんどの者が農業をしています。農家にとって大切なものは水でございますが、私の村にはその水が少なく、わずかの日照りにも困るありさまです。この村人たちの難儀を救うために、犬寄か東峰のあたりに池を掘っていただきたいと思います」と答えた。思いもかけないおきよの願い事に藩主は驚いたが、郷里の人々を思う一念にいたくうたれて「その願い事、きっと叶えてとらすぞ』と力強くうなづいたという。
 その後まもなく実地調査が行われ、東峰に池づくりが着手された。(『双海町誌 改訂版』より)

①おきよ頌徳碑(碑の後ろに写っているのが「おきよ池」)

①おきよ頌徳碑(碑の後ろに写っているのが「おきよ池」)

伊予市双海町上灘(国道56号から少し入る)