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伊予市

藤谷嘉之寿計(1867~1949)

 果樹園芸の普及発展に貢献。
 1867(慶応3)年6月20日、稲荷村に生まれた。人となり着実勤勉で事物に通じ、事に処するに明敏であった。
 しばしば大字の総代をつとめ、また村民の信頼を受けて村会議員となり村政に寄与した。特に、明治27、8年の干ばつに際して水不足を解消するため、村民に呼びかけて笠谷池の増築を行って干害を防いだ。これがため、稲荷250余アールの水田は日照りの害を免れるようになった。
 後には、伊予果物同業組合の評議員として果樹園芸の普及、発展に貢献した。特に村の耕地面積が狭小なのでこれを補うため、開墾した山の斜面や山すそを利用して梨を作ることを考え、1905(明治38)年ころ、久米村から梨の木を持ち帰り自ら率先して栽培し、また村人にも勧めた。この間、梨の樹の良種選択のためほとんど寝食を忘れて東奔西走してこれに当たった。
 やがて栽培に成功し、梨か多く取れるようになった。これを見て村民は次々と梨の栽培を始め、山々にも梨畑が見られるようになった。その後、産額は増し、阪神や北九州方面へ盛んに出荷されて農家の暮らし向きもよくなり、村の経済も豊かになっていった。
 昭和24年2月25日、82歳で没した。(『伊豫市誌』より)


①藤谷翁頌徳碑Ⅰ

①藤谷翁頌徳碑Ⅰ

伊予市稲荷1267-1(稲荷西集会所敷地内)

②藤谷翁頌徳碑Ⅱ

②藤谷翁頌徳碑Ⅱ

伊予市稲荷1267-1(稲荷西集会所敷地内)

③伊豫稲荷神社

③伊豫稲荷神社

伊予市稲荷1230