データベース『えひめの記憶』
伊予市
藤谷隆太郎(1898~1963)
農業指導者。明治31年9月伊予郡北山崎村稲荷に生まれ、大正7年3月、愛媛県立松山農学校研究科卒業、同時に同校の助手拝命。大正8年から喜多郡出海村技術員をふり出しに伊予郡北山崎村技術員、伊予郡農会を歴任、昭和8年県農会技師を拝命。いらい農村青年の教育に専念、昭和15年11月、大政翼賛会愛媛支部の組織部長、実践部長に就任。昭和18年4月から同20年8月まで、食糧増産隊の愛媛県隊長をつとめる。
昭和20年9月、公職を離れて郷里の北山崎村稲荷で果樹園芸に従事、昭和29年、懇請されて愛媛県指導農業協同組合連合会会長と愛媛県共済農業協同組合連合会会長を勤める。同年11月、農業団体の再編成で新設の愛媛県農業協同組合中央会の初代会長に就任、そのほか愛媛県拓植農業協同組合連合会会長、愛媛県電化協会会長、愛媛県電柱敷地補償料対策協議会会長、愛媛県農業会館理事長、愛媛県農業会議員、家の光協会理事など、生涯を農業団体の発展に尽くし数々の業績を残す。昭和38年10月9日、65歳で逝く。同日正六位叙五等瑞宝章を授かる。昭和48年4月7日、有志により生地の稲荷神社境内に胸像が建立される。(『愛媛県史 人物』より)