データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

伊予市

伊藤允譲(1832~1910)

 砥部焼功労者・教育者。浮穴郡五本松村の旧里正、幼名を万吉といい伊予郡尾崎村里正伊藤重右衛門為徳の三男。鷲野南村に就き漢学を学び、和歌詩文に通じ、教養の高いことで知られていた。妻は河野たけのといい四男二女がある。廃藩置県ののち阪神に遊学する。明治6年に教師となり自家を陶澗(とうかん)小学校と称し村童を教えたが、鶏・豚を飼っていたので児童の読書の声に混ってにぎやかであった。
 8年に戸長を命じられ、村政に励んだ。茶樹を育成し養蚕をすすめ、明治初期有田から陶工を招き、五松斎の窯にはもと鍋島藩の陶工市川重助をやとい錦爛手のものには自家に伝わる小判をつぶして惜しげもなく使わせ「五松斎もの」と今目に残る格調の高いものを作り砥部焼の名声をあげる。精巧華麗な大花瓶一対は現在も残っている。また砥部に縁故の深い富岡鉄斎を日野家に招き、長く滞在させて土地の人にもすぐれた美術品を見せて勧めていたという。明治43年8月8日78歳で死去。(『愛媛県史 人物』より)

①伊藤允譲先生碑と常盤木神社

①伊藤允譲先生碑と常盤木神社

伊予郡砥部町五本松599

②伊藤允譲先生碑(裏)

②伊藤允譲先生碑(裏)

伊予郡砥部町五本松599

③五本松の大いちょう

③五本松の大いちょう

伊予郡砥部町五本松599