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松前町

武市 庫太(1863~1924)

 県会議員、衆議院議員に5期当選、子規の学友として俳句・漢詩をたしなんだ。文久3年10月25日、伊予郡永田村(現松前町)の庄屋武市元衛(英範)の長男に生まれた。諱は英髦、号を幡松または子明、雪燈(俳号)ともいい、蒼軒老人と自称した。幼少のとき叔父武市英俊について勉学、のち郡中の武智五友の私塾に通い、漢学を学んだ。上高柳の墨水小学校で村井俊明の教えを受けて松山中学校に入学、同校教諭となった村井に再び国語・漢文を学び、村井を生涯の師と仰いだ。また同校で正岡子規と親交を結び、のち子規の指導で俳句に親しむ機縁となった。京都の同志社に進んだが、父の病気で帰郷、16年家を継いで村会議員となり、勧業委員・徴兵参事員・学務委員・助役などを歴任した。27年3月自由党所属の県会議員に選ばれ、30年10月にも再選された。 29年には県農会の創設に伴い初代会長に推された。明治31年3月第5回衆議院議員選挙に自由党公認で第1区から立ち当選、31年8月の衆院選挙でも再選されたが、35年8月の選挙では自由党を離れて帝国党に所属したことも災いして落選した。36年3月の第8回選挙で雪辱を果たして代議士に返り咲き、37年3月、41年5月、45年5月の衆院選挙でいずれも再選されて、前後6期国政に参画した。公明正大な人柄で私財を投げうって社会事業に貢献するところが多かった。 33年住居を東京に移したが、故郷の風物・人情を大切にし、旧屋敷のそば岩舗天満宮境内の古松を詠んだ俳句・漢詩が多い。大正13年10月20日、60歳で没した。(『愛媛県史 人物』より)

①岩鋪天満宮の神名碑Ⅰ

①岩鋪天満宮の神名碑Ⅰ

伊予郡松前町永田(岩鋪天満宮、鎮守神社付近)

②岩鋪天満宮の神名碑Ⅱ

②岩鋪天満宮の神名碑Ⅱ

伊予郡松前町永田(岩鋪天満宮、鎮守神社付近)