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松山市

松永鬼子坊(1880~1971)

 教育者・俳人。明治13年9月4日、温泉郡雄郡村(現松山市)に生まれる。本名、詮季、旧姓は島川。明治38年、愛媛県師範学校卒業後、北条市の松永家に養子として入る。師範学校2年のとき、村上霽月の勧めで桧垣括瓠、塩崎素月らと俳句を始め、大正5年「渋柿」創刊とともに参加し、同人となり、松根東洋城に師事する。 27歳で小学校長となり、河野、湯築小学校などを歴任するとともに、昭和4~5年海南新聞の俳壇「俳諧日曜集」を担当した。同8年、28年間の教員生活を終り、農業、仏典に没頭し、俳諧行脚三昧の生活をする。同31年句集『形影』を出す。昭和46年2月5日、90歳で死去。(『愛媛県史 人物』より)

【追記】
① 蓮福寺の句碑
  梟の ふはりと来たり 樅の月

② 北条鹿島の句碑
  この嶋に 起き来る潮や  初日影


①蓮福寺の句碑

①蓮福寺の句碑

松山市粟井河原325

②蓮福寺

②蓮福寺

松山市粟井河原325

③北条鹿島の句碑

③北条鹿島の句碑

松山市北条