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松山市

尾上又次郎(1872~1960)

 中予地方果樹草創期の大規模経営者で、浅海梨栽培の先駆者、温泉郡浅海村萩原(現松山市萩原)に生まれる。明治28年太山寺(現松山市和気)における、千石興太郎の講演を聞き、持田の三好保徳から苗木をもとめ、浅海村味栗の番所ケ平の山林10haを入手して、リンゴ7ha、ミカン1ha梨2haを栽培した。リンゴは綿虫のため失敗、梨は栽培に成功し、梨販売の好調を聞き、村民こぞって梨栽培に打こみ、浅海村は1時200町歩の集団産地となった。また病害虫に対するガスくん蒸を試みるとともに尾上式ガスくん蒸器を発明した。大正末期株式で失敗し、果樹園を手放し上京したが、昭和5年福岡県行橋市導場寺の原野2haを購入し、再度果樹栽培をはじめた。明治43年伊沢知事より果樹栽培功労者として表彰された。 88歳で没した。(『愛媛県史 人物』より)


①尾上又次郎翁頌徳碑Ⅰ

①尾上又次郎翁頌徳碑Ⅰ

松山市浅海本谷(浅海駅前)

②尾上又次郎翁頌徳碑Ⅱ

②尾上又次郎翁頌徳碑Ⅱ

松山市浅海本谷(浅海駅前)