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松山市

星野立子(1903~1984)

 俳人。東京府麹町区富士見町(現、東京都)出身。高浜虚子の次女。東京女子大学高等学部を卒業、その翌年の大正14(1925)年に結婚し、「ホトトギス」発行所および文化学院に勤めた。俳句は、大正15(1926)年に父・虚子の勧めではじめ、中村汀女とともに女流俳人の双璧と言われ、また、女性が初めて主宰となった俳誌『玉藻(たまも)』を創刊した。素朴な感受性で柔軟なリズムに乗せて詠う花鳥諷詠が特色であり、愛媛にもたびたび来県して俳句の指導にあたった。句集に『立子句集』、『笹目』など、随筆には『玉藻俳話』などがある。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 星野立子墓所:寿福寺(神奈川県鎌倉市扇ヶ谷)
        ※ 高浜虚子の墓と向かい合うように立ち、句碑もある。 

【鎌倉大仏横に建つ句碑】
 大佛の 冬日は山に 移りけり

鎌倉大仏横に建つ句碑

鎌倉大仏横に建つ句碑

神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号(高徳院)