データベース『えひめの記憶』
松山市
前田伍健(1889~1960)
野球拳の創始者、愛媛川柳の第一人者。明治22(1889)年1月5日、香川郡高松(現、香川県高松市)に生まれ、父から居合や書画を教えられて育った。旧制高松中学校(現、香川県立高松高等学校)を経て、坂出の伊予水力電気の支店に入社、やがて本店の松山に転勤となり松山へ移住した。大正5(1916)年、伊予水力電気が伊予鉄道電気(現、伊予鉄道)に吸収され、そのまま伊予鉄道電気に勤めた。
川柳は、東京の窪田而笑子(くぼたじしょうし)の高弟で、全国川柳界の七賢人に選ばれたほどであった。大正末期から県下柳壇の第一人者として川柳の指導、普及に力を尽くし、全国に先駆けて愛媛県川柳文化連盟を結成し、初代会長となった。代表作の一句として知られる「考えを直せばふっと出る笑い」は、第二次世界大戦終戦間際の焦土と化した松山市内の各所に貼り出され、多くの人から励まされたと礼状が届いたという。
また、野球拳の創始者としても知られ、伊予鉄道退職後も、自動車学校の教師を務めながら、趣味人として生き通した。昭和35(1960)年、椿まつりに出かけた翌日倒れ、一週間後に世を去った。享年71歳。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【石手寺の句碑】
鎌倉の むかしを今に 寺の鐘
【三島公園の句碑】
考えを 直せはふつと 出る笑
【一宮神社の句碑】
遠会釈 人うつくしく 誰れだろう
【大洲城公園の句碑】
右:歓ずるに みな佛性よ 狩供養
左:供養して 心山河の 霧はるる
①石手寺の句碑 松山市石手2丁目9-21 |
②野球拳踊りの碑 松山市石手2丁目9-21 |
③三島公園の句碑 四国中央市上柏町 |
④一宮神社の句碑 新居浜市一宮町1丁目3-1 |
⑤大洲城公園の句碑 大洲市大洲903 |