データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

松山市

河東碧梧桐(1873~1937)

 俳人。書家。松山城下の千船町(現、松山市)出身。本名は秉五郎(へいごろう)。伊予尋常中学校(現、県立松山東高等学校)で高浜虚子と同級となる。中学3年生で俳句を学び、初めて俳句集を作って正岡子規の添削を受け、明治24(1891)年、虚子らと「松山俳句会」を結成し、子規の指導を受けた。やがて、新進俳人として虚子とともに正岡子規門下の双璧といわれ、俳誌『ホトトギス』や他の新聞・雑誌で俳句の選者として活躍した。
 子規没後、平凡単純な写生の句に飽き足らなくなり、「俳三昧」と称する勉強会に励み、「新傾向俳句」を唱えて全国旅行を行い、虚子の守旧派と対立を見せた。この新傾向俳句はやがて定型破壊・季語無用の流れとなり、自らの自由律俳句を「詩」と称するようになった。書にもすぐれ、子規が「天資の能」と称賛する能筆で自在な書風であった。その他にも能楽家、旅行家として卓越した識見をもっていた。全国旅行の見聞をまとめた『三千里』、『続三千里』の著作がある。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)


【松山市役所前の句碑】 
 さ久ら活計た 花屑乃中可ら 一枝拾ふ
 (さくらいけた はなくずのなかから ひとえだひろう)

【道後友輪荘付近にある句碑】
 温泉めぐりし天 戻りし部屋に 桃の活け天ある
 (ゆめぐりして もどりしへやに もものいけてある)

【定秀寺の句碑】
 銀杏寺を たよるやお舩 納涼能日
 (いちょうじを たよるやおふね のうりょうのひ)

【大蓮寺の句碑】
 山川艸木悉有佛性
 (さんせんそうもく ことごとく ぶっしょうあり)

【大三島町宮浦の句碑】
 砂白ろ尓 庭燎焚くらむ 楠の冬
 (すなしろに ていりょうたくらむ くすのふゆ)

①松山市役所前の句碑

①松山市役所前の句碑

松山市二番町4丁目

②道後友輪荘付近にある句碑

②道後友輪荘付近にある句碑

松山市道後町2-12-9付近(俳句の道)

③定秀寺の句碑

③定秀寺の句碑

松山市神田町4-26

④大蓮寺の句碑

④大蓮寺の句碑

松山市東方町902

⑤大三島町宮浦の句碑

⑤大三島町宮浦の句碑

今治市大三島町宮浦5402付近