データベース『えひめの記憶』
松山市
臥牛洞狂平(生没年不詳、江戸時代)
俳人。松山(現、松山市)を中心に活動した人。美農派の各務支考(かがみしこう)の門で俳諧を学ぶ。支考の25回忌に追善仮名詩を作り、道後円満寺に碑を建立した。『きさらき』を刊行し、松山・風早(現、松山市)近辺の俳人の句を集めている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【狂平の仮名詩碑(松山市教育委員会が設置した解説板より)】
芭蕉十哲の各務支考の門人臥牛洞狂平らが、京都双林寺に建立の仮名詩碑にならい、支考の25回忌宝暦5年(1755)に建てた仮名詩(俳体詩)碑で、全国に三基しかない珍しいものである。
我師この世にいます比(ころ)しもは
ひとへに其師の道をになひて
雪に氷に身をこらしつゝ
夏野は脚を草にこがして
道には秋の露いとはずも
門は葎(むぐら)のとぢも閉(とじ)てん
萩には風の音の有(あり)しを
二見の浦の貝の数々
(下略)
[碑陰] 維石不言 謎文以伝
(これいしいわず なぞぶみもってつたう)