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松山市

筒井修(1917~1990)

 プロ野球審判。香川県善通寺市出身。松山商業学校(現、県立松山商業高等学校)の遊撃手、4番打者として昭和10(1935)年夏の第21回全国中等学校優勝野球大会(現、全国高等学校野球選手権大会)に優勝。大会終了後発足したばかりの東京巨人軍に入団。三原、水原と黄金内野陣として活躍した。しかし、昭和13(1938)年と昭和17(1942)年の二度にわたり軍隊に召集され、ビルマ(現、ミャンマー)に出征した際、手りゅう弾の暴発で左手の親指を除く4本の指の第一関節から先を失い、選手生命を絶たれた。昭和22(1947)年、松山商業学校の先輩である元巨人軍監督・藤本定義の勧めで審判員に転身、正確で誠実な判定は定評があった。引退するまでの31年間に審判員では初の3,000試合出場(通算では3,451試合)を達成した。平成3年、野球殿堂入りした。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)