データベース『えひめの記憶』
松山市
吉田蔵澤(1722~1802)
南画家。松山藩士。松山城下(現、松山市)出身。松山藩士・吉田直良の長男。風早(かざはや)郡や野間郡の代官となり、その在職中、善政を行い信望を集めた。一方、絵を好み、20歳代に狩野派系の画を学ぶが、50歳代には南画の世界に向かう。南画当初は、画題も多様で、誠実な描法であるが、生硬な作風であった。やがて、70歳代に入り、変幻自在な境地を見せる墨竹画に至る。その完成度は「竹の蔵澤」と言われる程である。後に、正岡子規や夏目漱石も彼の墨竹をめで、句を詠んでいる。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
「蔵澤の竹も古しや庵の秋」 (子規)
「蔵澤の竹を得てより露の庵」(漱石)
【追記】
吉田蔵澤の墓所である大法寺の門前には、「此寺ニ蔵澤翁之墓アリ」と刻まれた石碑がある
【正岡子規の句碑】
草庵
冬さひぬ 蔵澤の竹 明月の書