データベース『えひめの記憶』
松山市
松平定行(1587~1668)
松山・松平家初代藩主。三河国宝飯(ほい)郡西郡(にしのこおり)(現、愛知県)出身。伊勢国(現、三重県)桑名城主を経て、寛永12(1635)年、松山藩主となる。以来、道後温泉の施設の充実や、松山城天守閣の改修、筍(たけのこ)や茶の栽培などの殖産興業政策を進め、松山藩の基礎を作った。
隠居後、松山の東方・温泉郡東野村(現、松山市)に別荘を建設し、千宗庵に命じて数寄屋(すきや)と庭園を作らせ、東野御殿と呼んだ。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
松平定行墓所:常信寺(松山市祝谷東町、通常は拝殿しか見えない)
【東野茶屋跡の句碑】
Ⅰ 高浜虚子
ふるさとの この松伐るな 竹切るな
Ⅱ 正岡子規
閑古鳥 竹のお茶屋に 人もなし
①東野茶屋跡の句碑Ⅰ(高浜虚子) 松山市東野4(愛媛県研修所横) |
②東野茶屋跡の句碑Ⅱ(正岡子規、安倍能成 書) 松山市東野4(愛媛県研修所横) |
③松山城(小天守、大天守) 松山市丸之内1 |
④常信寺の霊廟(拝殿) 松山市祝谷東町636 |