データベース『えひめの記憶』
松山市
加藤嘉明(1563~1631)
松山城主。三河国幡豆(はず)郡永良(ながら)郷(現、愛知県西尾市)出身。父に従って近江に行き羽柴(豊臣)秀吉に仕え、養子・秀勝に付属されたが、天正4(1576)年の播磨征伐を機に秀吉の直属となり、天正11(1583)年の賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで七本槍の一人として活躍した。文禄4(1595)年、松前城主となり、6万石を領して、伊予に入国した。
豊臣秀吉の没後は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いの功で20万石に加増され、藤堂高虎と伊予国を二分した。その後、勝山の地に松山城を築城し、城下町の町割を行うとともに、重信川や石手川の改修を行い、内政の充実を図り、領内の発展に力を注いだ。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
①松山城前の銅像 松山市大街道3町目2-46(松山城山ロープウェイ乗場横) |
②松山城乾櫓 松山市丸之内1 |
③松山城野原櫓 松山市丸之内1 |
④松山城天守閣 松山市丸之内1 |
⑤松前城跡 伊予郡松前町筒井(東レ愛媛工場前) |
⑥松前城碑(西園寺源透 撰文) 伊予郡松前町筒井(東レ愛媛工場前) |