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松山市

足立重信(生年不詳~1625)

 松山・加藤家の重臣。美濃国(現、岐阜県)から来た人。年少の頃から加藤嘉明に仕え、朝鮮の役にも従軍し、文禄4(1595)年、加増により嘉明が松前に転封されると同時に松前城に移る。特に土木治水工事に精通し、松前城の拡張工事の際、伊予川の大改修を断行して水害を防ぎ、5,000町歩の水田を灌漑し、川の名も重信川と称されるようになった。
 次いで、関ヶ原の合戦の功により嘉明が20万石の大名となると勝山へ移転築城することとなるが、それに先だって石手川の改修を行って城下町の土地の確保と新たな水田を開発した。また、開墾の奨励や年貢率の設定なども手がけ、松山藩初期の財政基盤の整備、充実に手腕を発揮した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 足立重信墓所:来迎寺(松山市御幸、松山大学御幸キャンパス横)

【来迎寺の献灯句碑】
 左:村上霽月  寶川伊豫川の秋の出水哉
         ※ 寶川=石手川、伊豫川=重信川のこと

 右:内藤鳴雪  功や三百年の水も春
         ※ 功は、「いさおし」と読む

【出合橋近くの正岡子規の句碑】
   出合渡 
 若鮎の二手になりて上りけり

①松山城を臨むように建つ墓と献灯句碑(村上霽月、内藤鳴雪)

①松山城を臨むように建つ墓と献灯句碑(村上霽月、内藤鳴雪)

松山市御幸1丁目(松山大学御幸キャンパス横 来迎寺)

②足立重信の顕彰碑

②足立重信の顕彰碑

松山市御幸1丁目(松山大学御幸キャンパス横 来迎寺)

③重信が岩盤をくりぬいた岩堰

③重信が岩盤をくりぬいた岩堰

松山市石手1丁目(セブンスター石手店付近)

④松山城乾櫓(松前城から移築)

④松山城乾櫓(松前城から移築)

松山市丸之内1

⑤出合橋近くの正岡子規の句碑

⑤出合橋近くの正岡子規の句碑

松山市出合

⑥松前城跡

⑥松前城跡

伊予郡松前町筒井(東レ愛媛工場前)