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今治市

阿部久一(1903~1974)

 明治36年1月7日越智郡竜岡村(現今治市)の父が獣医師の家に生まれ、大正13年麻布獣医畜産学校卒業後直ちに上浮穴郡、ついで喜多郡畜産組合等に勤務し有畜農業の奨励、和牛の改良増殖あるいは繁殖障害除去専任技術員としてトリコモナスの除去検診等に活躍中応召し、昭和9年軍功により正八位勲六等瑞宝章を贈られる。除隊後喜多郡畜産組合に復職。その実績が認められて昭和12年愛媛県農林技手に任ぜられ、服務中再度の応召となり昭和14年8月陸軍獣医中尉となり、解除後県農業会畜産課主任技師として戦時体制下の畜産業が産業的軍事的にも一段と重要性を増す中で、有畜農業のすすめに持前の剛毅不屈、向う意気の強さと、口八丁手八丁と言われた、健筆と得意の弁で印刷物の配布、昼夜を分たず随所に講演を展開するなど、その活動ぶりは今も1つの語り草となっている。
 農業会退職後は生地玉川町において林牧共存経営を提唱し、自ら林間放牧を試行するほか、九州方面から和牛を導入して地域の農家に預託するなど、常に技術者の時代感覚やその公共性、経済性への対応を厳しく叱陀激励するなど気骨の人であったという。なおその後昭和26年に地元竜岡村長となり続いで、合併後の玉川町長を連続5期務める間には越智郡町村会長、県森連理事、県内水面漁業協同組合連合会長など数多くの役員歴を経る間自治大臣、厚生大臣、水産庁長官をはじめ全国町村会長、全国森林組合連合会長、全国社会福祉協議会長、日本赤十字社表彰ほか数多くの受賞に浴している。
 昭和49年11月18日死去、71歳、正五位勲四等瑞宝章を贈られた。(『愛媛県史 人物』より)

①阿部久一翁像

①阿部久一翁像

今治市玉川町三反地甲10-1(今治市役所玉川市所敷地内)