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今治市

菅原利はる(1891~1958)

 ジャカード機による紋織タオルを開発した技術者。山形県鶴岡市の生まれ。東京高等工業学校卒業後福島県工業試験場技手、埼玉県工業学校教諭、東洋紡織(株)島田工場長を経て、大正11年今治市の愛媛県工業講習所(現県染織試験場)に勤務。タオル製造技術の研究指導に専念した。当時のタオルは無地または縞柄がほとんどで、織り方・デザインともに単純平凡であった。そのため高級化をめざして、紋織タオルの研究に没頭。大正14年600ロジャカード機を力織機に取り付け、一幅掛浴布(くじゃく模様、三ピック、片面タオル、カード数1320枚)の製織に成功した。これが今治地方におげる絞織タオルのはじめであり、現在のタオル大産地発展への端緒となった。昭和21年県染織試験場長を退任した後も、今治市にとどまって、タオル業界の指導・技術者の養成につとめた。また俳句をよくし村羊と号した。その句〝機ゆれの炬燵に病める織子かな″は氏の温厚典雅な人柄をよく表わしている。第1回愛媛賞(愛媛新聞賞の前身)、第1回愛媛文化賞(県教育委員会)受賞。主著は『今治綿業発達史』『タオルドビー意匠図集』3巻『今治タオル工業発達史』など。昭和33年4月3日没(67歳)。今治市吹揚公園に胸像が建っている。(『愛媛県史 人物』より)

①菅原利はる先生之像

①菅原利はる先生之像

今治市通町3丁目1-3(今治城吹揚公園内)