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今治市

飯尾平太(1864~1951)

 文久4年1月2日今治市桜井国分の代々獣医業を営む家に生まれ、愛媛県で産業指導に従事していた宇喜多秀穂が明治19年開設した獣医学講習所を最初に卒業して、本県初の獣医師となった人で、以来60余年の長きにわたり地元今治、越智、周桑、西条までも昼夜をいとわず牛馬・犬猫に至るまで診療に明け暮れ、患畜とあれば遠きをいとわず東奔西走の活躍をした。また単に診療にとどまらず常に有畜農業の重要性を説き、家畜の飼育管理技術から畜産経営技術の向上普及に専心したので、戦争中、越智郡地域の軍用馬の生産が多かったのも、また日本在来馬の8系譜の1つである県産在来種野間馬の繁殖保存に努めたのも翁の功績の一端を物語るものである。昭和25年の春に国分の山麓に建立された「頌功碑」の文中、翁顧みて曰く「天我に此難路を試む,往かん哉男子の本懐是に過ぎたるは無しと、蹶起勇進、切瑳琢磨晨に不言の件を訪ひ夕に不語の侶を憮す、懇切人に接するが如く、丁寧知者を遇するが如し、至仁至慈の菩提心は発して萬朶の花となり結んで霊腕妙手となる、遠近相伝へて病畜患馬共門に蒐る、誠に偉なりと云ふべし、今や畜産家の興隆空前の盛観を呈し業界の雄者林の如きを見る時、転た翁を想ふこと切なり」とあり、その人となりがうかがえる。また翁の一門には子息秀雄(歿)孫満雄(戦死)二郎(在存)それから弟新太郎(没)甥豊(没)は何れも獣医師として活躍した獣医一家を形成して常に県内獣医畜産業界の指導的地位において長期に亘り果たした功績は誠に大なるものがある。60有余年の活躍も昭和26年5月20日87歳で終わりを告げた。(『愛媛県史 人物』から)


①飯尾平太翁頌功碑

①飯尾平太翁頌功碑

今治市桜井(国分寺東の県道156号沿い)