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今治市

村上武吉(1533~1604)

 戦国末期の伊予国越智郡の海賊衆。能島村上水軍の当主。越智郡能島(のじま)城(現、今治市宮窪)を本拠とし、能島村上氏と呼ばれる。同国同郡来島(現、今治市)を本拠とする来島村上氏、備後国御調郡因島(現、広島県尾道市)を本拠とする因島村上氏と共に三島村上氏とも称せられる。
 最盛期の勢力は芸予諸島(広島県、愛媛県)を中心に、防予諸島(山口県、愛媛県)、塩飽(しわく)諸島(香川県)、周防(すおう)国上関(現、山口県熊毛郡上関町)、備中国笠岡(現、岡山県笠岡市)などにもおよんだ。武吉は嫡流の義益と争って家督を継承したと伝えられる。河野氏・毛利氏・大友氏など周辺大名と結びながらも、その行動には独自性が強くみられた。一時は大内氏、大友氏とも結ぶが、毛利元就が陶晴賢(すえはるかた)を破った厳島合戦では陶方の軍船を撃破し、毛利氏の勝利に貢献したと伝えられる。
 天正13(1585)年に河野氏が豊臣秀吉に降伏してからは、小早川隆景の家臣団に入る。しかし同16(1588)年、豊臣秀吉により海賊禁止令が出されたのちは不遇で、各地を転々とし、晩年は周防大島(現、山口県大島郡)に隠棲した。慶長9(1604)年に永眠。法号は大仙寺覚甫元正。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 村上武吉墓所:元正寺(山口県大島郡周防大島町内入)

①能島城跡(宮窪瀬戸)

①能島城跡(宮窪瀬戸)

今治市宮窪6574

②村上水軍博物館

②村上水軍博物館

今治市宮窪町宮窪1285

③村上武吉像

③村上武吉像

今治市宮窪町宮窪1285

④小早船(武吉丸)

④小早船(武吉丸)

今治市宮窪町宮窪1285