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今治市

矢内原忠雄(1893~1961)

 経済学者。越智郡富田村(現、今治市)出身。小学校卒業後に親元を離れ、旧制神戸中学校(現、兵庫県立神戸高等学校)を経て、第一高等学校(現、東京大学教養学部)に進み、校長の新渡戸稲造や内村鑑三に師事した。東京帝国大学法科大学政治学科(現、東京大学)を卒業後、住友別子鉱業所を経て、大正9(1920)年、同大学助教授となった。その後、植民政策研究のため留学し、帰国後、同大学の経済学部教授となり『植民及植民政策』、『帝国主義下の台湾』などを著した。昭和12(1937)年、『中央公論』に「国家の理想」を発表し、軍部の戦争政策を批判して弾圧を受け、辞職に追い込まれた。
 太平洋戦争終戦、東大に復帰し、社会科学研究所長、経済学部長などを務め、昭和26(1951)年から6年間、東京大学総長を務めた。退職後も学制問題研究所長として教育に携わり、また、キリスト教伝道に従った。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①南中学校にあるレリーフ

①南中学校にあるレリーフ

今治市松木349-1

②南中学校にある石碑

②南中学校にある石碑

今治市松木349-1

③富田小学校の書額

③富田小学校の書額

今治市上徳甲394-4

④河南高等小学校跡

④河南高等小学校跡

JR伊予富田駅付近

⑤ 矢内原忠雄の書碑Ⅰ

⑤ 矢内原忠雄の書碑Ⅰ

JR伊予富田駅付近

⑥ 矢内原忠雄の書碑Ⅱ

⑥ 矢内原忠雄の書碑Ⅱ

鹿ノ子池公園内