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西条市

林田哲雄(1899~1958)

 日本農民組合に参加して農民運動に専念、戦後衆議院議員。明治32年10月6日、周桑郡小松村新屋敷(現西条市小松町)の明勝寺住職林田孝純の次男に生まれた。幼年で父を失い母に養育されて小松小学校・西条中学校を経て京都の大谷大学に進んで僧籍を目指したが、大学在学中全国水平社創立大会に参加、大学を中退して帰郷、水平社運動を起こした。大正11年賀川豊彦・杉山元治郎らが日本農民組合を組織すると12年これに参加して農民運動を進め、14年には別子銅山大争議を支援した。 15年4月日本農民組合県連合会を創立して会長になり、同年労働農民党県連合会を結成、昭和2年日本農民組合中央執行委員・労働農民党中央委員となった。3年2月初の普通選挙である第16回衆議院議員選挙に労働農民党候補小岩井浄を擁立して奔走したが、その直後に検挙された。また5年八・一五事件で2年8か月の刑に処せられるなど、検束されること70余回、獄に繋がれること5年2か月に及んだ。昭和13年小松町会議員に当選、戦後、日本社会党・同県支部連合会の結成に参加、21年4月の第22回衆議院議員選挙に立候補して当選したが、以後の選挙では落選した。戦後の民主化の中で農民運動の再編成に努力しているうち、病魔に犯され、昭和33年2月14日58歳で没した。 41年12月、「先駆者たる君が功績は石鎚の峯の如く不滅の光芒を放つ」偉業を顕彰するために小松町内に顕彰碑が建てられ、闘友井谷正吉が撰文した。(『愛媛県史 人物』より)


①林田哲雄顕彰碑

①林田哲雄顕彰碑

西条市小松町新屋敷新宮(国道196号沿い、JR線路付近)