データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

西条市

髙橋岩兵衛(生没年不明)

 哀悼記念

 高橋翁、名は岩兵衛、芳陵の産なり。垂髫(すいちょう、小児)孤と為り、寒寠(かんる、貧しい)儋石(たんせき、わずかなもの)なし。人と為り英豪、夙に工芸に熟す。明治初年大いに竹邑(新町のこと)に創業し、盛んに婚婣(婚姻)之具ならびに日常の什器を製し、周備せざる無し。遠邇(遠近)争って購求、家声関西に鳴る。然れども其少時、艱苦備に嘗め、同情尤も深く、救扶太だ力む。徒弟日に進み、三百有余人、殆んど海内に播り、販路を興して相抗衝(はりあう)す。実に異数なる者在る也。大正初頭、颷(ひょう、つむじ風)として長逝す。嗟、翁の在る時、鉞音鋸響(しゅおんきょきょう、のこぎりの音とひびき)の間に燕居(えんきょ、悠然とかまえ)し、大杯を挙げて祝福す。其豪華、宛も猶目に観ゆ、二三子鴻恩を感荷(かんか、深く心に感ず)し、卒先、碑を墓前に建て、てい徊(徘徊)景仰す。法縁、為めに不文を累ね、かつ録を掎す。偶(たまたま)、世之笑を招かんのみ。
 大正二年二月         佐々木善親撰並書

(『石碑・胸像にみる東予市の先覚者』高橋岩兵衛頌徳碑訳解読文より)


①高橋岩兵衛頌徳碑Ⅰ

①高橋岩兵衛頌徳碑Ⅰ

西条市新町(新福寺墓地内)

②高橋岩兵衛頌徳碑Ⅱ

②高橋岩兵衛頌徳碑Ⅱ

西条市新町(新福寺墓地内)