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西条市

一色耕平(1859~1948)

 壬生川町長・県会議員。東予煙害問題の先頭に立って賠償交渉に奮闘した。安政6年5月20日、桑村郡明理川(旧東予市)の農家に生まれた。幼名文左衛門。16歳で父と死別、一家の生活を支えながら独学した。壬生川村戸長役場に勤め、明治27年9月村長に選ばれたが、28年6月退職した。34年1月再び村長に就任、6月町制をしいて町長になり、大正13年7月まで24年間在任した。その間、町長としての責務を反省するため一日も欠かさず日記をつけ、今日27冊の日記が残されている。36年過去の資料を集めて「町是調査」を完成、明治38、9年ころから住友四阪島精錬所の煙害が表面化すると、煙害調査会長として煙害を究明すると共に、周桑郡農民の代表として住友との賠償交渉に当たり、43年1月賠償契約を成立させた。賠償金の一部は、周桑高等女学校(現丹原高校)の増築や壬生川奨農会の設立に充てられた。明治44年9月県会議員に選ばれたが、議員は一期だけにとどめて、町政に専念した。壬生川を郡経済の中心地とすべく、交通の発展に着目、壬生川港の修築、予讃線の開通に伴う壬生川駅の設置に尽力した。その他、農業改良、産米検査問題、郡道整備など大正期の地方行政が抱える問題に強い責任感をもって対処した。町長退職後、30年間の煙害抗争の跡を綴って『愛媛県東予煙害史』(昭和2年刊)を公にした。昭和23年8月25日89歳で没した。生前の昭和3年に顕彰碑(壬生川公民館前)が建てられた。更に28年には耕平らの功を永久に伝えるため煙害頌功碑(壬生川旧奨農館前)が建立された。(『愛媛県史 人物』より)


①一色耕平表彰碑

①一色耕平表彰碑

西条市壬生川200、壬生川公民館

②一色耕平頌功碑Ⅰ

②一色耕平頌功碑Ⅰ

西条市円海寺1(西条市立周桑病院東)

③一色耕平頌功碑Ⅱ

③一色耕平頌功碑Ⅱ

西条市円海寺1(西条市立周桑病院東)