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西条市

渡部権太夫(生没年不詳)と五社霊神

   五社霊神

祭神  庄屋渡部権太夫その母
    長男 次男 三男の幼童  計五柱
創始  宝暦十二年正月廿日(1762年)

   解 説

 徳川五代綱吉の頃、徳能は松山藩領当時桑村郡は旱魃、年々の凶作、きびしい年貢の取立、村民の生活は苦しく、庄屋は八方手を尽くしたが報いられず、決するところあり江戸幕府に直訴しました。幸に藩政は改まりましたが庄屋と四人の家族は郡内新市の刑場で打首となりました。貞享3年6月晦日(1686年)後の庄屋、長井氏はひそかに5人の霊を祀って二百余年義人渡部権太夫を弔いました。昭和29年春、徳能部落では「庄屋権太夫之碑」を建立、毎年4月29日を春祭ときめ、子供神輿の渡御を行い報恩感謝と併せ、五穀成就を祈っております。
平成20年3月
     西条市丹原文化協会再建之

(頌徳碑付近の解説版より)

①庄屋権太夫之碑

①庄屋権太夫之碑

西条市丹原町徳能(徳能集会所付近)