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新居浜市

藤田元司(1931~2006)

 プロ野球選手。監督。昭和6(1931)年、新居浜市で生まれる。西条北校(現、県立西条高等学校)を経て昭和27(1952)年に慶応義塾大学へ進学、投手として通算31勝をあげた。昭和31(1956)年に日本石油へ入社し、翌年、読売ジャイアンツに入団。1年目は17勝で新人王、2年目は29勝、その翌年には27勝で最多勝利、両年とも防御率2位という好成績で2年連続最高殊勲選手(現、最優秀選手)となった。巨人は昭和30(1955)年からリーグ5連覇を達成し、藤田は第二期黄金時代の末期をエースとして支えた。しかしその後、肩を痛めて昭和39(1964)年限りで引退、実働は8年という短い期間であった。選手として獲得した主なタイトルは、新人王、最多勝利1回、最高勝率2回、最高殊勲選手2回、ベストナイン1回。
 昭和56(1981)年から昭和58(1983)年と、平成元(1989)年から平成4(1992)年の二度にわたって巨人監督を務め、リーグ優勝4回、日本一2回に輝いた。
 平成8(1996)年野球殿堂入りをし、表彰を受けた。平成18(2006)年2月9日、心不全のため死去した。享年74歳。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より