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新居浜市

天野喜四郎(1690~1756)

 多喜浜塩田開発者。備後国御調(みつぎ)郡吉和村(現、広島県)出身。吉和浜で塩田経営に従事、米屋を称した。西条藩の意を受けた黒島浦(現、新居浜市黒島)の年寄・好兵衛らの強い要請により、喜四郎は、自身が元締役及び塩問屋になることを条件に、黒島浦へ渡ることを承諾した。喜四郎は吉和の財産を処分して、6人の浜師(塩業者)と共に、享保9(1724)年に最初の塩浜「多喜浜(古浜)」を完成させ、塩の生産に入った。享保の大飢饉に際しては、西条藩に食糧対策を建言し、救済事業として、2番目の塩浜「多喜浜東分」を開発し、多喜浜塩田の基礎を築いた。喜四郎の亡き後も、その遺志は歴代の喜四郎(6代目まで)に受け継がれ、幕末までには伊予最大の240町歩(約2,380,000㎡)に及ぶ大塩田地帯となった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 天野喜四郎墓所:久貢山山上

 多喜浜公民館には、塩田開発関係の資料が集められ、展示されています。(新居浜市多喜浜5-7-27〔多喜浜小学校横〕)

①天野喜四郎顕彰碑

①天野喜四郎顕彰碑

新居浜市多喜浜(久貢屋敷敷地内)

②天野喜四郎が植樹した久貢屋敷のソテツ

②天野喜四郎が植樹した久貢屋敷のソテツ

新居浜市多喜浜(久貢屋敷敷地内)

③湊神社、塩竈神社

③湊神社、塩竈神社

新居浜市多喜浜