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四国中央市

三宅棹舟(1824~1887)

 生家は誓松から50m東にある旅館だが、明治10年県議会の前身となる特設県会が開設されると若干20歳で土居の代表として選出され、明治12年から正式に県議会が開かれると明治14・15年に県議会議員に選ばれ、松山での活動が目立った。また文人としても活躍し、誓松に芭蕉の句碑「宿かして  名を名乗らする 時雨かな」を建てたほか、明和年間から明治初期にかけての俳文を集めた「風俗文鑑」を草稿。従来社会的評価を独占してきた漢文文化に対抗した和文体で、明治中頃から近代文章に発展していく文章日本語のなかで近世最晩期の文集として意義が大きい。(『土居町50年のあゆみ・できごと』より)

【追記① 松尾芭蕉句碑】
 安政2年、松尾芭蕉を顕彰するため、誓松付近に句碑を建立した。碑には、

 宿可し亭  名越名乗ら寿留 時雨可奈
 やどかして なをなのらする しぐれかな

と刻まれている。

【追記② 三宅棹舟句碑】
 静かさや 幾十かへりも 匂う花

①誓松の碑

①誓松の碑

四国中央市土居町土居892(延命寺前)

②誓松

②誓松

四国中央市土居町土居892(延命寺前)

③「いざり松」解説板

③「いざり松」解説板

四国中央市土居町土居892(延命寺前)

④松尾芭蕉句碑

④松尾芭蕉句碑

四国中央市土居町土居892(延命寺前)

⑤三宅棹舟句碑

⑤三宅棹舟句碑

四国中央市土居町土居892(延命寺前)