データベース『えひめの記憶』
四国中央市
塩田浅太郎
故 塩田浅太郎君は 資性温厚質実 年少にして農業に志し常に其の改善進歩を計り 夙に模範的篤農家として知られ 幾多の名誉職に推される 偶々支那事変の勃発と共に 食糧増産の急を告ぐるや これが国家的要請に応へ 上町農事実行組合の創立に努め 其の設立を見るや 推されて組合長となり 常に多忙なる公私の生活裡に在りて 卒先躬行鋭意農事の発展に尽さる その垂範指導 機宜に適し 全組合員大和一致孜々精励の結果 成績頓に向上し 常に優秀組合として推称せらるるに至りしは 一に君の捨私奉公献身努力の賜に外ならず 今や時世は君に期待するところ愈々切なる秋 不幸病を得て遂に逝かる 則ち吾等は君の遺徳を偲び 茲に小碑を建てて これを永久に記念せんとする
昭和十九年十月
上町農業実行組合
(塩田浅太郎翁頌徳碑碑文 井原岸高書 『伊予三島市史 中巻』より)