データベース『えひめの記憶』
四国中央市
深川正一郎(1902~1987)
俳人。宇摩郡上山村(現、四国中央市新宮町)出身。大正13(1924)年、上京して文藝春秋社に入社、その後、日本コロンビアに入るが、このとき高浜虚子の俳句朗読のレコード制作を企画実施し、その際に虚子の知遇を得て師事した。昭和21(1946)年より虚子の遺訓に従い終生俳句一筋に生き、『ホトトギス』の中心的な存在となった。温厚な人柄で句風も穏やかで巧みであった。連句実作者としても知られている。また、句作と併行して380篇にも及ぶ写生文を書いた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
深川正一郎墓所:深川家墓地(四国中央市金田町半田飼谷)
【妙蓮寺の句碑】
道とほきこと 美しや 春の草
※右側には、正一郎と共に虚子門下であった松本浮木の句が刻まれている。
山々の 是順ふや 秋の天 松本浮木
※この句碑は、二人が兄弟のように親しんだことから、「兄弟句碑」と呼ばれている。
【安養寺の句碑】
三人の 遍路に伊予の 小春かな
『丹原町誌』によれば、この句碑の裏面に次のように刻まれていると記載されている。「青龍社、川端龍子画伯は、俳人深川正一郎と同伴、昭和ニ十七年秋四国遍路の途路この地に立寄らる。三人の遍路は、川端龍子画伯、当時六八歳。宇摩郡椿堂出身、ホトトギス同人深川正一郎。龍子長女喜美子。この時の記念に、明穂玉井瓦全君発企して句碑を建立す。昭和ニ十九年十月三日 玉山吟社」
①妙蓮寺 四国中央市川之江町1781 |
②妙蓮寺の句碑 四国中央市川之江町1781 |
③素鵞神社にある句碑 四国中央市新宮町上山3132 |
④素鵞神社参道(この奥に大きな社殿があります) 四国中央市新宮町上山3132 |
⑤安養寺の句碑 西条市丹原町明穂乙296(鐘楼近くの石段下にあるが、文字が見えにくい) |