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四国中央市

真鍋豊平(1809~1899)

 一絃琴家元。歌人。宇摩郡上野村(現、四国中央市土居町)出身。千足(ちたる)神社神官の長男。神官時代は相模守家教(さがみかみいえのり)と称した。天保元(1830)年、画家で一絃琴奏者であった杉隅南(すぎわいなん)が千足神社を訪れたとき、短期間であったが隅南から直接、一絃琴の指導を受けた。弘化3(1846)年より九州や中国、伊勢などの各地を巡りながら一絃琴の演奏方法や作詞、作曲を学び、嘉永元(1848)年、京都に移り住んだ。
 豊平は、現在も残る一絃琴の曲を多く収録した譜本『須磨の枝折(すまのしおり)』を著し、正親町中納言家(おおぎまちちゅうなごんけ)より一絃琴総頭取役を命じられ、家元師範役となった。
 その後も豊平は、権力者のみならず一般の人々にも一絃琴や和歌を教え、明治維新後は全国各地を巡って指導した。そのため豊平には約1,800人の門人がいたと言われている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①千足神社Ⅰ

①千足神社Ⅰ

四国中央市土居町上野1983

②千足神社Ⅱ

②千足神社Ⅱ

四国中央市土居町上野1983

③千足神社Ⅲ

③千足神社Ⅲ

四国中央市土居町上野1983

④千足神社Ⅳ

④千足神社Ⅳ

四国中央市土居町上野1983