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柳谷村誌

第七章 保険

 今日の貨幣経済社会に生活するわれわれは、いつもきびしい生計危険と対面している。その生計危険は、経済社会の振幅につれて、生活事故の発生する頻度を増大する。だから事故発生によって受ける、財産損害・労働力の傷害・喪失等のために、被害者個人の「経済必要」は一挙に対決を迫る事態となる。
 この経済必要との取り組みについて、被害者個人が持っている力は、経済社会の発達に反比例してよわくなっていく。そこでその弱さを補充する社会施設の一つとして、「保険行為」が発明されたのである。
 保険は多数者による共同行為である。多数者による施設として、生計危険被害当事者の経済必要を共同で負担する。しかもその負担が、一定額で足りるという事実に、基礎が置かれているので、この施設の安定持続を、相対的に強化するのだと考えられる。
 わが国の保険施設は、欧米に倣って明治初期から始まった。海上保険から出発して、火災保険が加わり、更に生命保険へと拡がってきた。しかしわが村の人々をはじめ、数多くの庶民の生活に、保険行為がゆきわたったのは、大正五(一九一六)年に始められた官営(逓信省→郵政省)簡易保険によってであろうと考えられる。
 今日経済社会の多様化に伴って、保険のはたらきは、人的にも物的にも、すべての人々の生活の全面に及んでいる。わが国では、昭和三六(一九六一)年、国民皆保険の制度の完遂を見るに至った。まことに保険の種類は多種に亘り、その分類は繁煩である。そこで私保険と見られる個人保険は除いて、政策保険と見られるべき、社会保険と経済政策とに限り、更に村行政に些かなりとも関わりをもつ保険種別を対象にその大要を示すと「図表 大部分の住民に関わりある政策保健」のとおりである。

大部分の住民に関わりある政策保健

大部分の住民に関わりある政策保健