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柳谷村誌

序 存在することへの不安、そして安全への試み

 われわれは、涯しない天然の力、ひろがる大地の力、接しあう隣人の力、それらとの和解を試みて、みずからの存在をたしかめて来、たしかめ続けてゆく。それは瞬間々々の安全という現実の連続として、限りなく向上進歩を重ねてゆくであろうところの、人という生物の進化を保証するものであろう。
 ではわれわれ人間のくらしとはなにか。われわれのくらしとは、深い渕に渡された一条の綱を渡りゆく行為である。進むにしろ、振り返えるにしろ、立ち停まるにしろ、怖え慄えるにしろ、すべては危険と隣合せである。われわれは、避けられない綱渡りに取り組んでいる。安全への途を探がし試みることに、身も心もすべてを賭けつづける。
 われわれは、生れながらに、自分の力の乏しさを自覚している。そして、より大いなるものを畏敬するつつましさを抱いている。そこで祈りの慣わしが育つ。さらに群合いの習いも定着して、社会つくりをする。ことばを発明してその磨きがかけられる。より高い効果に焦点を合わして、技を研ぎつづける。「永い綱渡りの習練」は、ここまで、「生活安全の灯し」を累積してきたのである。われわれやなだにびとが、試みて体得した「安全への知恵」のことごとのうち、主だったものを拾いあげて、思い返してみよう。